FUJI’s Diary -オタノオト-

オタクのノート、略してオタノオトです。

いつのまにか、答えを求めてしまう人が、ここにいる


「乃木坂を知らない人に撮らせる意味がわからない」

「起こった出来事の裏側撮ってるだけ」

「監督の謎ナレーションで涙が引いた」

「推しの出番が少なくて微妙」

「新しい情報が引き出せてない」

「楽しめるのは出番が多いメンバーを推してる人だけ」

 

 

公開からいろいろ言われてたドキュメンタリー映画もぼちぼち公開終了が迫っている。

 

 

この記事について先に予防線を張っておくとしたら、

映画の感想として書き始めたつもりが途中で盛大に話が逸れてしまった「感想論」である。

 

 

なんだよ映画の感想じゃないのかよ、お前の持論なんて興味ないよって方はここで脱出してください。

 

 

 

 

➖➖➖➖➖予防線➖➖➖➖➖

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの予防線を超えてくるとは、物好きですね(爆)

 

 

 

 

 

 

 

 

 
素敵な写真で心を清めましたか?
では、はじめましょう。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

ドキュメンタリー第1作のときの評判をあまり気にしてなかったので比較はできないが、おそらく第1作の方が作品のテーマがわかりやすかった気がする。

決して明るくはない過去を持った女の子達が乃木坂46というグループに入って変わっていく成長譚。

まさに第2作の岩下監督が冒頭に記していたやつだ。

岩下監督は完全に無茶振りスタートっぽい感じだったので若干 気の毒(笑)

 

岩下監督もどんな内容にしようか決まらないままカメラを回してたくらいだから、多少の伝わりにくさがあるのは仕方ない。

 

ただ、最近はクリエイターさんが表現しようとしたことをSNSなどで発信してくれる機会が多くなったからなのか、受け取り手がすぐに答えを求めてしまうようになってると思う。

 

乃木坂46に至っては今年、乃木坂46 ArtWorks だいたいぜんぶ展を開催したこともあり、クリエイターさんたちが作品に込めた想いをファンは知ることができた。

 

もちろん作品の作り手側には必ず意図があるので、それを知ってこそだろ!というのもわかる。

 

でも、それを聞いて「へぇ〜なるほど」と思考を止めて終わってしまうほど面白くないこともないと思う。

 

全ての人が等しく感動できる作品なんてこの世に存在しないわけで、十人十色の解釈があるのが当然である。

 

解釈に100点の正解はなく、その作品を見て"自分がどう解釈したか"が重要だと思う。

 

否定的な意見が嫌いなわけではない。それも1つの考え方だと言われればその通りなので。

だからこそ「好きなメンバーが映っていないから微妙!」というのは、映画から何かを得ようという意思を微塵も感じないのでちょっとだけ苦手。

 

 

ドキュメンタリー第2作で私が感じたのは、乃木坂46の「変化」。

前作まではいなかった3期生、4期生については、乃木坂46がある程度の地位を確立してから加入しているので1期生、2期生とは違う考え方なのはわかっていた。

しかし、初期からいる1期生ですらこの数年の活動の中で考え方に変化があったことが伝わってきたのが興味深かった。

 

そのきっかけがどこにあるのか、カメラを構えるチャンスを伺いながら考えた結果、人の出入り(卒業と加入)の与える影響が大きいと感じたからそこにフォーカスしたのだろう。

 

メンバーのインタビューを聞いてると、自分たちが置かれている状況下で彼女たちなりにいろいろ考えて変わっていってることがよくわかる。

変えようと思って抜本的に行動を変えたわけではなく、大人たちに動かされているグループとしての活動の中で各々が考え、いつのまにか変化していたメンバーがほとんど。

 

大体こういう変化って、「変えなきゃいけないと思って誰かが先導して皆で話し合って…」というストーリーが付き物だと思っていたが、今回はそのような描写がなかった。

主要メンバーの卒業という転機はあったが、大きな壁にぶち当たったわけでもない活動の中でほんの些細な心境の変化を引き出した岩下監督の密着力と距離感に拍手と感謝を贈りたい。

 

外仕事でインタビュー記事を読んでいても、どこかで聞いたことあるエピソードが登場することが屢々ある。

多忙極める乃木坂46のドキュメンタリー作品としては、岩下監督のインタビューは十分過ぎるくらいの情報量である。

 

しかも作品のタイトルが「いつのまにか、ここにいる」というのも秀逸。

桜井玲香が「いつからこんなに仲良くなったのかもわからない」と述べていたように、メンバーの心境の変化も同様に「いつのまにか」なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

というのが私の解釈である。

 

 

 

 

解釈の話に少しだけ戻るが、岩下監督がどういう乃木坂46の姿を見てほしいと思ったかはなんとなくパンフレットにも記されている。明確にではないが。

そこには"乃木坂46 meets Asia!"のインタビューから繋がっているものもある。

でもそれは作り手側の意図であって、受け取る側は各々の感想を抱く。

 

世評が高いと「良い作品」と言い、世評が低いと「そう思う」と、常に多数派でいようとする人もいるが、その感想からは能動性が感じられず何も伝わってこない。寧ろちょっとだけイライラする。(落ち着け)

 

作品の評価を他人に委ねる行為そのものが私個人的にはナンセンスだと思う。

正直、感想のスタート地点は 自分がその作品を「好きか嫌いか」でいい。

そこの理由を深掘りしていけばその人がどう感じたのかが見えてくる。

だからこそ、自分が最初に感じたものを自信持って発信する人の意見はとても面白い。

 

 

 

 

最初に感じたものが大事と言いつつも、1回目はボロ泣き放心状態だったので、2回目でようやくいろいろ考えながら観れた感じ。だからまとめるのが遅くなった。

シーンごとに感じた内容はTwitterでポンポン書いてるので省いてしまったので、正直こっちではあまり内容に触れられてない気もする(笑)

 

 

 

 

乃木坂46とはこういうものです!」という作り手側の解答集 だいたいぜんぶ展を経たうえでドキュメンタリー第2作を観たら、やっぱりファンそれぞれの乃木坂46像があってもいいのかもと改めて思えた。

 

 

 

これからも乃木坂46 ArtWorksの受け取り手として、感受性を豊かにしていけるよう精進していきたいものである。

 

 

 

 

お口直しに美しい写真をどうぞ。